質問

Q: 奉仕についてのお考え、また、低位の見習いに向けて、この時代に必要とされる奉仕を効果的に行うための心構えあるいはヒントをいただければ幸いです。

A: 偏極がパーソナリティーにあるとき、献身家の熱性がそうであるように、奉仕もまた必然的にグラマーとなります。おそらく重要なのは、魂との接触を強めることです。魂に徐々に吸収されることに、安らぎと自然さ、すなわち摩擦と苦痛のなさを学ぶことです。そのとき、奉仕の背後に『低位の見習い』として自負を持つ人間の存在は消え去り、魂の意志だけが支配するようになります。そして、奉仕という概念もまた消え失せるでしょう。

Q: もう一つ質問がございます。先日の記事で、「魂と接触するとき人間は決してそれ以前と同じではなくなる」というお話がありました。「魂との接触」は体験的事実として明らかではあるものの、私の進化段階を考えたとき、第2イニシエーションはまだまだ先であり、情緒体の統御が当面の課題であると考えています。「魂との接触」とイニシエーションとは無関係なのでしょうか。初めて魂に触れたときの衝撃は強烈で根本的なパラダイム転換がありましたが、この体験はむしろ第1イニシエーションと関係するのでしょうか。それとも、偶数光線系の弟子のみに起こる特別のイニシエーションなのでしょうか。魂との意識的接触とイニシエーションとの関係について何かヒントをいただければ幸いです。

A: 魂との接触自体は、『低位の見習い』の段階で意識的に通過するべきものかもしれませんが、奇数光線の弟子たちはこれを自覚しにくいと思います。偶数光線の弟子や、進化段階は平均的な見習い以下でも強烈に神秘家のラインにある場合は接触しやすいです。魂との接触は道にあることを示す証しになりうる場合がありますが、特にイニシエーションとは関係がありません。魂の感覚を自覚しながら働いている弟子は、第一イニシエーションを受けている可能性が高いでしょう。もし貴方が魂との接触を維持しているのなら、情緒体のフォースを魂のエネルギーで置換する術を習得すべきです。これは、エネルギーの賦課と分配の技術ですが、瞑想に専心することで習熟できます。

しかしながら、しばしば見習いの弟子は、魂的なテクニックを習得するなかで、自らの技術を過大評価して、分離的なグラマーに後退することを選択しがちです。魂のパワーの使用方法に習熟していくと、必然的にまだパーソナリティーでしかない弟子は、その能力と己れ自身に自惚れて、パワーを使用できない一般大衆のなかで優越感を持って誤用してしまいます。

したがって、このような後退に陥らないためにも、イニシエーションについての概念を、いまの段階から、あまりパーソナリティーとして追い求めないことが重要です。進化段階の概念はあるレベルにおいては役立つものですが、弟子が魂との接触を強めるとき、それは誤った知識として忘れられるようになります。

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